« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月

早春、田植え前の生きもの調査inくしぶち

Y25_2Y24     Y23Y22 Y21 Y20 Y19 Y18 Y17 Y16 Y14 Y13 Y12 Y11_2

Y9 Y8 Y7 Y6 Y5 Y4 Y3 Y2_2 Y1_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大井川葛布の村井さんの講演会メモ

●衣から考える阿波忌部氏の役割

阿波再興フォーラム2回目のスペシャルゲストは静岡県で大井川葛布をつくっている村井さんです。阿波の忌部氏は、大麻彦神社や麻植郡の名前に、痕跡が残っているように、麻の栽培と麻布の生産技術をもった一族であった。そして、黒潮の民、海部氏と協力して、阿波徳島から房総半島に麻の技術をもって移民していったことがわかっている。静岡の葛布も、忌部氏と何らかの関係がるのではないかと思われる。

遠州と阿波の関係、千葉の南部に安房国は阿波からの移民によってつくられた国だから安房という。遠州も阿波国からの移民開拓団が開墾した土地という伝説がある。葛布の産地は粟ヶ岳の周辺に存在する。粟ヶ岳には阿波々神社があり、阿波比売命が祭られている。波が荒い航海の難所である遠州灘では富士山と粟ヶ岳が航海の目印の山となっている。御前崎を回り込んで、駿河湾に入ると急に波は穏やかになる。

遠州一宮は2つある。ひとつは大己貴命(大国主命)を祭る小国神社、そしてもうひとつが事任八幡宮で祭神は己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと)である。

事任八幡宮の「ことまちひめ」と讃岐国(香川県)の満濃町の天川神社に祭られている興台産霊尊の間に生まれた子どもが天児屋命であるという伝説がある。天児屋命は中臣氏の祖先で、忌部氏の祖先の太玉命とともに天岩戸ひらきの神事を司っている。

静岡の地の由来は、絹と麻を混ぜて織られたシズリ(倭文)の生産地だからだといわれている。延喜式神名帳には12の倭文神社が記載されている。その祭神は織物の神様である武葉槌命である。武葉槌命は大麻彦命と兄弟であるという伝説がある。

●村井さんの葛の話

葛は江戸時代は会津が北限だったが、今は北海道にも入っている。

アメリカでもはびこっている。アメリカではクズではなくカズと呼ばれている。駆除の対象だが、ミス葛コンテストをしたり、お祭り騒ぎで楽しんでいる。

フィリピンではピナツボ火山の噴火で火山灰が積もって砂漠となった地域の緑化に使われている。マメ科の植物で、根瘤菌が共生しているので、荒れ地でもよく育つ。種が2種類あって、ひとつは眠りがあさく、もうひとつは眠りが深く、環境が大きく変わったときに芽生える。土手が崩れたところに葛が茂るのはこのため。葉がよく動くので、下になったものにも光があたりやすくなる。コロニーをつくりやすく増えやすい。秋の七草のひとつ。根から葛粉がとれる。芯が葛籠(ツヅラ)になる。山形では飢饉のときの食べ物とされていた。北海道の葛は葉が丸いので、野生ではなく栽培種で、人為的に持ち込まれたものといわれている。土止めとして、または家畜のえさとして利用されていた。豚のエサにしていたのでブタズル、トンズルと呼ばれていることもある。またウマノボタモチと呼ばれることもある。葉のタンパク質は同じ重さのジャガイモよりも多い。

葛からとる繊維にことを苧(を)という。葛は畑では栽培しない。たくさん繁茂している葛でも、そこから線維になるものは、わずか1~2%くらい。まっすぐ伸びたものしか使えないため。刈り取られた葛は、大釜で煮ることで柔らかくする。マメ科の植物なので、煮ると枝豆を煮た時と同じ匂いがする。刈り取ったススキやヨシでつくった室にいっしょに入れて、ススキやヨシを発酵させて、その天然の枯草菌によって外皮を生物的に分解させる。枯草菌は食べるものがなくなると、白い胞子の種をつくるので、白くなったら完成。川の流水で皮を洗い落として、芯のまわりの薄皮を繊維として取り出す。芯は葛籠(ツヅラ)の材料になる。

葛糸は平たいテープ状のもの。縦糸にもめん糸、絹、麻をつかい。テープ状の葛糸を横糸として編み上げていく。隙間がどうしても多くなってしまい。葛の着物は肌が透けて見えてしまうが、夏はとてもすずしい。汗をかくとすっと涼しくなる。濡れてもすぐ乾き、あたたかい。水に濡れても軽い、水がついた石の上でも滑らない。海水につかるとより丈夫になる。漁師が身を守る服として重宝されていた。佐賀の葛布は堺港に20万反も送られていたという記録が残っている。鹿児島の西の東シナ海にある甑島では30年前まで、葛糸にスピンドルでくるくると回してよりをかけて丈夫にした糸で縦糸にも横糸にも使って織るゾンザという仕事着を漁師は着ていた、葛をよって太くして綱にして綱引きをする神事がある。

葛の服としての歴史は古い。新石器時代には、冬は毛皮で、夏は葛布が使われていた。中国には藤がないので、中国で藤といえば葛のこと。漢王朝は王は葛帯でおこなわれる。諸葛亮公明の頭のかぶり物は葛。唐の時代に麻に変わる。サラシの技術ができるまで、白い糸は葛糸だけだった。世界で一番古い記録は6万7千年前のものがある。日本で一番古いモノは6世紀の古墳時代のもの。土器の底に葛布の模様がついていた。繊維は土の中に残らないので、古い記録はほとんどない。奈良の大仏の製造材料に使われていた。正倉院文書には葛布の盗難があったことが記載されている。平安貴族の蹴鞠につかわれていた。戦国時代の甲冑下地に葛布が使われいた。武士の衣服にはよくつかわれていた。明治からはフスマ紙として、戦後は壁紙として輸出されていた時期もあるが、昭和40年代から廃れはじめ、民芸品として残るだけになった。

遠州では平安時代後期からつくられていたという記録があるが、もっと古くから利用されていたと思う。

衣食住というが、衣は医術の医に通じるものがある。服は身を守るものであると当時に、薬草で染めた衣服をまとうことで、皮膚から薬効を浸み込ませるという役割があったのではないかと考えている。

●参加者からの意見

日本人は宝石で身を飾らない珍しい民族である。宝石には邪気を払ったり、幸運を招きいれたりする力があると考えらえている。日本においては葛や麻の衣服が、他の民族の宝石のような意味をもっていたのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地域がささえる食と農神戸大会・保田茂氏講演:有機農業運動の歩みと到達点

地域がささえる食と農神戸大会:2月20日
保田茂氏の講演「有機農業運動の歩みと到達点」のメモ

2月は寒い。日本は5月、6月の風景が一番美しい。外国の方をたくさん招いて国際的な会議をするなら、初夏にするのがいいと思う。

1971年という年は、日本有機農業研究会が発足した年は、コウノトリが絶滅した年でもある。ヨーロッパの有機農業は、化学肥料や農薬の多量使用によって表土が流失してしまったことの反省にはじまる。地力回復の問題から有機農業がはじまった。イギリスのハワードが『農業聖典』を世に出したのは1940年代で、日本の有機農業のはじまりとは時代が違う。日本の有機農業運動は、公害問題にはじまる。環境を汚してしまったことによって、食べ物が汚れてしまった。食べ物が汚れると、一番被害をこうむるのは次に世代である。

有機農業を一楽照雄先生が提唱される直接のきっかけは「母乳汚染事件」であった。私、保田は夜行バスで東京へ通っていた。帰りに一楽先生はカレーライスをいつも食べさせてくれた。その時に一楽先生に、農林中金にお勤めなのに、どうして有機農業なのですか?と尋ねた。先生の答えは「母乳に農薬をもたらすような食べ物は食べ物ではない。そんな食べ物をつくる農業は農業ではない。そんな農業をささえる協同組合は協同組合ではない。」とおっしゃられた。

農薬や化学肥料を扱うのは当たり前の世の中で、JAで「農薬が危ない」という映画会を行う。農学部の就職先が農薬メーカーや化学肥料メーカーが主流だったので、農薬が危ないと辻説法をしてまわるので、農学部のガン細胞とまでいわれた。

神戸生協で市島の有機農産物を売ってほしいとたのむと、25万人に平等に分配できる商品でないので、扱えないと言われた。そこで提携というスタイルがメインになった。新しい酒は新しい樽でつくるのがいいということわざがある。

日本の有機農業運動は健康問題から始まっているから、はじめっから消費者型だった。環境汚染をなくし、食品汚染をなくし、健康被害をなくすというのがテーマだった。

提携は「反市場主義」である。食べ物はいのちである。いのちであるから、商品として金で売り買いしてはいけない。食べ物を商品化しないのが提携のしくみ。

提携を成立させるには、生産者だけの組織、消費者だけの組織にわかれていては成り立たない。提携の消費者は、生産者がつくったものは、うむをいわさず、食べさせられるものである。

提携の現場では、若い人の参加が難しくなっている。生産者側は世代交代して若返っているのに、消費者側はサロン化してしまい、若返らない。しかし、あふれんばかりの老人が、若いモンに迷惑をかけないために健康に気を使うのはよいことだ。

兵庫県民は半分の人が朝食にパンを食べる。パンを食べるとアメリカの小麦畑が青々と茂り実り、日本の田んぼが放棄されて雑草が青々と茂る。頭ではわかっているのに、行動できない。しかし、頭でわかることは大事である。頭でわかっているのだから、行動できるはずであるからである。

近代化の中では、地域の農が必要とされていない。いわゆる「使い捨て文化」にあわない。サービス経済と産業社会の中では、地域にある大切なものは「いらないもの」になってしまう。地域にある大切なもの、地域の文化、地域性などのアイデンティティ、生物多様性もいらないものになってしまっている。悪いサイクルに落ちいてしまっている。だから農家の収入は低くなる。

農家は地域の文化の担い手であり、生物多様性が大切にされるなら、農家の収入はもっと高いはずである。

地域にある宝物を大事にして、そこから組み立てていく、そこにはケアー(思いやり)・カルチャー(文化)を尊敬すること、土地が伝え持って来たもの、土地にしみついたもの、土地に浸み込んだもの。地理的価値観が大事。

国は地域的なものの集まり、自治体のネットワークからできえている。地域が変われば、地域が元気になれば、国も自ずとかわっていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »