おふとまひめを祭るえのみや神社

927年に完成した『延喜式』の「神名帳」に掲載されている神社は2,861社(3,132座)ある。その中には『古事記』に出てくる神だが、阿波国にだけに祭っている神がいくつかある。そのひとつが意富門麻比売神社(おふとまひめじんじゃ)。おふとまひめはイザナギ・イザナミが生まれる直前の、油のようにくらげのように漂っているような状態から、ようやく大地が固まった姿を表現してる部分というべき神世七代の所に登場する。
工藤隆氏は『古事記の起源』の中で、神話には文章になるまでの長い年月を数世代にわたって、口伝で歌い継がれた時代があると考えている。そして工藤氏は神田秀夫氏の『古事記の構造』の一説を引用し、古事記の冒頭部分には「葦かびの序歌」のようなものがあったのではないかと述べている。
浮いた油の紋様か
ふわふわする大きな水母の傘のように
いちけない春の入り江に
突き出た芦の角
もえ立ち、群がり立った青い角
初々しい泥よ
(ウヒジニ)
砂の土よ
(スヒジニ)
角ぐむものよ
(ツノグイ)
芽ぐむいのちよ
(イクグイ)
父であり
(オオトノジ)
母である土に
(オオトノベ)
よろこびの面輪が
(オモダル)
驚きの声を放つ
(アヤカシコネ)
さあ、立てよ、柱
(イザナギ)
八尋の殿に
(イザナミ)
日本誕生の神話の風景は川の河口に広がる葦原のような場所の風景である。
現在、意富門麻比売を祭る神社は、徳島市上八万町中筋にある宅宮神社である。
宅宮神社は清和天皇の時代、貞観16年(874年)に従五位ににおせられている。名方郡12社の第一位とされ、祭神は「おふとまべのみこと」は家の神とされている。古代名方郡は海の民、アマベ氏とかアズミ氏とかイズモ氏とよばれる民が治める土地だったという。かつてこの神社は園瀬川を見下ろす丘の上にあったという。丘の上からは海から川つたいに入ってくる交易の船が見えていたのだろうか?日本神話の風景となったであろう葦原の緑がもえる風景が広がっていたのだろう。
戦国時代、四国平定を目指す長宗我部の兵火に遭い焼けてしまう。昔の社殿は2町(約200メートル)ほど南西の丘の上にあったという。再建時に平坦部に移されたらしい。荘厳な大きな森に囲まれた社殿だったという。今も境内には大きな杉の切り株が保管されている。落雷によって弱ったので、現社殿の建築のときに切られて、社殿を立てる材木になったという。
十字カーソルのところがおふとまひめを祭る宅宮神社。その上(北)に流れるのが園瀬川。その上(北)の山は眉山。この眉山の周辺が名方郡。眉山の左(西)の川は鮎喰川。その川の左(西)が阿波の国の国府があったところで、そのまた左(西)の山、気延山は山全体が古墳群になっている。阿波の国の古墳時代の中心地。
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