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2016年4月19日 (火)

和爾賀波神社を訪問!

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豊玉比賣命を祀っている。山幸彦の子どもをみごもった豊玉姫が海から川をさかのぼって来てきて、ここに上陸したのだという。遡ってきた川は神社のすぐ東を流れる鴨部川であったという。

香川県の伝承ではなく、佐賀県の伝承になるが、『肥前風土記』によると次のような伝承が残されている。

郡の西に川あり。名を佐嘉川といふ。年魚あり。其の源は郡の北の山より出て、南に流れて海に入る。此の川上に荒ぶる神ありて、往来の人、半ばを生かし、半ばを殺しき。ここに、縣主等の祖大荒田占問ひき。時に、土蜘蛛、大山田女・狭山田女といふものあり。二の女子云ひしく、「下田の村の土を取りて、人形・馬形を作りて、此の神を祭祀らば、必ず應和ぎなむ」といひき。大荒田、即ち其の辭の随に、此の神を祭るに、神、此の祭りをうけて、逐に應和ぎき。ここに、大荒田いひしく「此の婦は、如是、實に賢女(さかしめ)なり。故、賢女を以ちて、國の名と為むと欲ふ」といひき。因りて賢女の郡といひき。今、佐嘉の郡と謂ふは、訛れるなり。又、此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。海の神鰐魚を謂ふ。年常に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到るに、海の底の小魚多に相従う。或は、人、其の魚を畏めば殃なく、或は、人、捕り食へば死ぬることもあり。凡て、此の魚等、二三日住まり、還りて海に入る。(日本古典文学大系2『肥前国風土記』より)

佐賀県の「さが」は「賢女=さかしめ」に由来するという。

肥前国には式内社が4つある。格式が名神大なのは、松浦郡の田島坐神社(唐津市呼子町加部島)の方であるが、国衙に近く一宮とされるのが、佐嘉郡の与止日女神社(佐賀市大和町川上の嘉瀬川の岸辺にある)

与止日女神社の後ろ、嘉瀬川の少し上流の金敷城山(標高425m)には、神頭石・屏風石・道祖神石・兜石・龍の石・造化大明神石などの巨石がある。ここが世田姫のおわします石神で、嘉瀬川が海神が遡ってきた川であると考えられる。

賢女=与止日女=世田姫=神鰐魚=豊玉姫であるという。

佐賀の賢女は往来の時に、半分を殺すというほどの荒ぶる神であった。荒ぶる神は、大洪水のことと考えらえている。香川の方は温暖な瀬戸内海性気候で、讃岐山脈は標高も低く川も短く、大洪水などないようにも感じるが、台風による大雨、そして大洪水というのは、過去には起こったことだろう。

和爾賀波神社は『紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記』によると、10回の遷宮があったという。これは、社殿が洪水で流されてたり、傷んだりして、造営しなおしたためではないだろうか?

天暦四年(950)
治安三年(1023)
寛治七年(1093)
治承二年(1178)
建仁三年(1203)
文永元年(1264)
文永三年(1266)
応長元年(1311)
永享五年(1433)
永享十年(1438)

Ugaya

香川県には、山幸彦の妻、海洋神の娘である豊玉姫、山幸彦と豊玉姫の間の子どもウガヤフクアエズ尊、豊玉姫の妹で、ウガヤフクアエズ尊の養母であり、妻となり、初代神武天皇を生む玉依姫を祀る神社が多くある。

その神社の分布をみると、島嶼部と東側に豊玉姫が多く、西側に玉依姫が多い。ウガヤフクアエズ尊は屋島周辺にだけある。

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