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2016年4月23日 (土)

穴ぼこ村の行き倒れになった人たちを助ける学校の給食

鳴門駅前キョーエイの4階で、ちいさなチャリティーバザーが開催された。

アフリカのケニアのスラムでは10円あれば学校給食が1食分が賄えるという話を教えてもらった。そしてケニアの首都ナイロビといえば高層ビルが立ち並ぶ近代的な都市だと思っていたら、そこにはアフリカで2番目の大きさの100万人以上が暮らす巨大スラムがあるということを教えてもらった。そしてその巨大なスラムで、食べるものが十分に食べられない子どもたちに給食を提供する学校を運営しているのは、早川千晶さんという日本人女性であることも教えてもらった。

アフリカで一番大きなスラムは、南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ市都市圏D区にあるソウェト。120k㎡に150万~400万人が暮らす。 1880年代にヨハネスブルグで金鉱が発見され、1886年以降、各地のアフリカ系住民が仕事を求めてヨハネスブルグに移住した。多くは住居を構えることができず、郊外にあるブリックフィールズ地区に収容されていた。 1904年、イギリスが統治する市当局は、ブリックフィールズ地区で疫病が発生したため、アフリカ系住民とインド系住民をブリックフィールズからヨハネスブルグ市外のクリップスプリット地区へ移動させた。これがソウェトの始まりといわれる。
キベラスラムはケニアの首都ナイロビにある。アフリカで2番目に大きなスラム。 ケニアの首都ナイロビの行政区域面積は約696km²で、人口は約250万~300万人。
キベラ・スラムはわずか2.5k㎡ほどしかないが、ここに80万~100万人が居住している。それはナイロビの6%の土地に人口の30%が住んでいることを意味する。 1990年代前半、住宅地域の6%にすぎないキベラのような「非正規の居住地域」が全人口の55%に当たる75万人を収容していたが、現在、人口は当時の2倍を超えている。
スラムができた理由は、国際競争力のない小規模コーヒー農園が破綻し、都市へ仕事を求めてやってきたことによるという。ケニアのコーヒー生産と輸出は1980年代末をピークに、その後減少に転じ、近年では輸出額ベースで、野菜・果実・切り花等の園芸作物を下回っている。 ケニアの茶葉生産は大規模化が進み、生産性が高く、国際競争力を維持しているが、それと対照的に、コーヒー栽培は小規模で生産性が低く、国際市場の影響をまともに受けてしまった。
1918年、ヌビアの兵士は第1次世界大戦とそれ以前の戦いの功績への褒美として、ナイロビ近郊の森林に位置する居住地を拝受。キベラとはヌビア語で森またはジャングルを意味する。
1963年、ケニア独立の後に居住者数が大幅に増加。
UN-HABITAT(国際連合人間居住計画)本部はキベラ近郊に位置し、国連事務総長潘基文は就任初月に来訪した。
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キベラには、上下水道、電気、ゴミ収集などの公共公益サービスはない。
キベラには長生きの人はいない。むしろ若い世代が多い、平均して30歳くらいまでしか生きられない。
早川千晶さんはキベラスラムでマゴソスクールを主宰している。それは孤児・ストリートチルドレン・貧困児童のための駆け込み寺で、その学校に行くと給食が食べられるという仕組みをつくっている。
マゴソとは「Mashimoni good Samaritan for the orphans=穴ぼこ村の行き倒れになった人たちを助ける孤児のための学校」という意味。600人の子どもが通ってきている。
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