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2016年3月12日 (土)

深淵之水夜礼花神を訪問!

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田んぼ探検隊のイベントの打ち合わせのために高知へ。香南市野市町の入野さんの田んぼを訪ねる。そこで鎮守の森を見つけて訪ねてみた。

社頭掲示板によると

延喜式社。祭神は深渕水夜礼花命。

水神として元原部島にあり十善寺を経て明治25年現在地に遷宮、深渕郷の総鎮守で明治12年県社に昇格した。

孝安天皇31年神勅により創祀

貞観13年(871)3月5日従五位下

元慶3年(879)9月27日従五位上

至徳3年(1386)6月13日深淵社とあり

延宝7年(1679)12月造営

正徳3年(1713)8月造営

延享元年(1744)8月造営

明治5年郷社

明治12年9月30日県社

明治25年7月の洪水で社地流失

明治26年2月現在地に遷

最初の神社は、深淵集落の西方で、現神社の西北にあたる物部川東岸の川岸に近いところにあつた。

寛永年中に洪水で流され、社地は河底に沈んだため、側に小祠をたてて祭つたという。

寛永の洪水から約40年後の寛文年中に十禅寺(十禅師、十善寺、十善士などとも書いた)に遷座したという。

明治25年7月の洪水で十禅寺の社地も崩壊し、社殿も駄目になつたので明治26年2月現在地に移転した。

現在の県道364号線の物部川橋。昔の街道もここを通っていたので、この橋のところで川を渡っていた。

『香美郡志』には、「夜禮」は「破れ」、「花」は「端」の意味であり、「深淵水夜禮花命」とは、深淵の水(物部川)の氾濫時に、その被害を食い止める神であるという。

祭神はフカブチノミズレハナ神はヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたクシヒナダ姫と、それを助けたスサノオの間に生まれた子ども=ヤシマジヌミ神の子ども=フハノモヂクヌスヌ神の子どもで、スサノオのひ孫にあたり、大国主の曽祖父にあたる。スサノオと大国主のちょうど中間の神様。

物部川の河口。かつてはラグーンのようになっていたのだろう。空港の滑走路の拡張工事で発掘された田村遺跡は、縄文時代からの人の営みを確認できる息の長い集落遺跡。もっとも栄えたのが弥生時代中期後半からの100年で、最大人口は1000人にもなったと推定されている。450の竪穴式住居と400の掘立式建物。古代の古い時代から太平洋を船で行きかう交易があったことを想像させる、弥生時代の全国有数の都市である。

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