« 樫山農園・埼玉県小川町からの視察団の受け入れ | トップページ | オーガニック・フェスタinとくしま・レポート① »

2016年2月13日 (土)

徳島ラーメンで〆る会in阿波屋

0000227100000760000582

オーガニック・フェスタ2016の前夜祭。

徳島ラーメンの歴史は昭和初期までさかのぼれるという。初めは中国人が引いていた屋台だったという。徳島にはラーメンが根付く下地があったと思う。それは・・・

●粉もの文化の背景

徳島の北方、吉野川流域は、吉野川の豊富な水を眺めながら、その水をくみ上げる灌漑設備や灌漑用水がほとんどなく、台地の上や扇状地の上で、非常に水田稲作がやりにくい、お隣のうどん県こと香川県と同じ溜池に水を依存する小麦栽培地帯であった。また、鳴門の塩づくりは、蜂須賀氏が赤穂から塩づくり技術者を連れてきて始めたのが起源といわれ、江戸時代、斎田塩の名で、赤穂の塩と肩を並べるほどの全国ブランドとなる。その背景には、鳴門地方が瀬戸内海性気候に支配されており、非常に雨が少ないことが、良質の塩つくりを可能にしたという。

良質の塩と小麦があれば、自ずと良質な醤油や味噌がつくられることになる。

徳島ラーメンの背景に、徳島が培ってきたうどん文化、そうめん文化を感じるのは、行き過ぎだろうか?

1754年(宝暦4年)に平瀬徹斎が著し、長谷川光信が挿絵を担当してできた
『日本山海名物図会』に「大和三輪さうめん、細きこと糸のごとく、白きこと雪の如し、ゆでてふとらず、全国より出づるさうめんの及ぶところにあらず、又阿波より出づるもの名産なり。三輪さうめんにおとらず。」と記されている。

現在、徳島県の名産といえば半田そうめんが有名だが、『日本山海名物図会』に記載されているそうめんは現在の徳島市佐古あたりで生産されていたものではないかと考えられている。徳島には古くから、そうめんをつくる文化、食べる食文化があった。それが今の徳島ラーメンの下地になっていると考えられる。

●豚骨スープの背景

1942年(昭和17年)3月に徳島市寺島本町に大社義規滋氏がハム工場「徳島食肉加工場」を創設。これは後に発展し日本ハムになっていく。このハム工場のおかげで、徳島では豚骨が手に入りやすい環境があったといわれている。

●鶏ガラスープの背景

石井養鶏の前身、ヒヨコのイシイは、戦後、山がちな徳島でも、農業でずっとやっていけるようにと考えから生まれた。鶏を飼えばお金が稼げるということで、平野部よりも山の方へ広がった。現在、徳島県のブロイラー生産量は全国5位。地鶏「阿波尾鶏」は全国1位の生産量である。

Photo

『日本山海名物図会』の「そうめん」の挿絵。

« 樫山農園・埼玉県小川町からの視察団の受け入れ | トップページ | オーガニック・フェスタinとくしま・レポート① »

食べる探検隊」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137663/63232218

この記事へのトラックバック一覧です: 徳島ラーメンで〆る会in阿波屋:

« 樫山農園・埼玉県小川町からの視察団の受け入れ | トップページ | オーガニック・フェスタinとくしま・レポート① »

2016年5月

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31