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2016年1月17日 (日)

鷲住王とワナサオウソと海部氏

■式内社のワナサオウソ神社は麻の神

『播磨国風土記』の「志深(しじみ)の里の条」で伊射報和気命(履中天皇)が井で食事をした時に、信深(しじみ)の貝が御飯を入れた筥のふちに上がってきたので、この貝は阿波の国の和那散に行ったときに食べた貝ではないか?といったので、この地の名を志深の里とよぶとある。

阿波国の和那散(わなさ)は徳島県海部郡海陽町鞆浦の古名で、現在も那佐湾(なさわん)の地名がある。現在は海陽町大里松原の八幡神社内に移されている式内社那賀郡和奈佐意富曾(わなさおふそ)神社の旧社地があったといわれている。『阿波国風土記逸聞』にも奈佐浦があり、奈とは波のことで、徳島県海陽町穴喰の海岸のことで、古くは那佐湾沿岸を広く和奈佐と呼んだという。

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わなさおうそ神社は、かつては那佐湾にあったが、のちに鞆奥の手久良の大宮山に遷宮され、天正年間に大里の浜崎地へ、さらに慶長9年(1604年)に現在の大里に遷座された。大里八幡神社といっしょに祀られていたが、式内社の由緒を伝えるために、大里八幡から分祀されて、八幡さんの南、少し離れたところに、お宮が建てらえた。

全国の神社をたずねておられる「玄松子」さんのHPによると、祭神に関して諸説あるとのこと。

『大日本史』では、大麻比古神。

『特撰神名牒』では、大麻神。

『式社略考』では、和奈はワナであり鳥獣を取ることに長けた人々。

『名神序頌』では、日本武尊の子・息長田別命、あるいは意富曾(オウソ)=オフスノ命=大碓命=日本武尊の兄。

『阿波志』では、和奈佐居父祖として日本武尊。

『下灘郷土讀本』では、和奈佐毘古命・和奈佐毘賣命。

『海部郡誌』では、息長足姫命とある。

海部は3世紀末頃からすでに、高知と関西を結ぶ中継地として知られていた。室戸岬を回る海路は危険が多く、海部川付近に上陸し、陸路で高知へ行っていたと思われる。

海部川の河口付近にある大里古墳は6世紀末頃の築造で、7世紀まで追葬が行われていたと考えられている。現在残っているものは、2号墳で、1号墳はすでに残っていない。現存する2号墳も墳丘は流出していて、石室が露出している。発掘調査の結果、墳丘は径約20m、高さ約4~5m、周囲には幅約2mの周濠がめぐっていることが確認された。埋葬施設は南川に開口する両袖式の横穴式石室で、全長約11.2m、玄室部は長さ約5.7m、幅約2m、高さ約2.4mを測る。一番大きな石は5tもある。出土遺物として、耳環や武器、須恵器などが発掘されている。

ワナサオウソの意味はワナサは「和奈佐」という地名で、オウソは「大麻」であると思う。鳴門の大麻山の山麓の大麻神社。中津峰の東の尾根上の勝浦川を見下ろす朝立彦神社と同じく、和奈佐の大麻神社ということができるのではないかと思う。

麻は綿がまだなかった古代では、とても重要なセンイで、衣服だけではなく、ロープになり、帆になり、釣り糸になり、網になるので、海洋民が重要視したと考えらえている。

■海部一帯を開墾したのは鷲住王であるといわれている。

『南海治乱記』によれば、「鷲住王は履中の帝の皇后の兄なり。父を喪魚磯別王と云う人なり、腕力あり軽捷にして遠く遊び、帝しばしば召せとも応ぜず。摂津・住吉また阿波内喰にあり。一男野根命を生む後、讃岐富熊郷に居住し、多くの少年之に従う。薨して飯山西麓に葬る。里人祠を建て、之を奉す。飯山大権現また力山大明神とも称す。その後、康保元年、菅公修造を加え軍神となす。祈れば必ず勇力を賜ると。初めに王に男あり。高木尊と云い、讃岐国造に任ず云々と日本書紀にもあり。」とある。

鷲住王は、大阪の住吉に拠点があり、香川と徳島に勢力をもっていた海洋民の王で、海部氏の祖といわれている。子どもの名も、高知県の野根の地名に残っている。

履中天皇の父は仁徳天皇で、仁徳天皇は難波の堀江の開削と茨田堤を築き河内王朝の基盤をつくった。その仁徳天皇のその父は応神天皇で、その母は住吉大社に祀られている神功皇后である。

鷲住王が海部川流域を開墾したのは、摂津の河内王朝に対して、材木などを供給するためだったのかもしれない。そして海部の位置は土佐高知へ通じる重要な要所でもあった。

1445年の『兵庫北関入船納帳』によると、海部からは56隻の船が入港し、全国10位、四国では1位の積出港であったことが記録として残っている。

海部の「城満寺」は、1290年代創建で、曹洞宗で9番目にできたとても古いお寺。禅宗のお寺では四国最古。後に曹洞宗大本山総持寺開祖となった瑩山紹瑾が、永平寺で学んだ後、金沢の大乗寺に住して師の徹通義介のもとで修行していた、28歳の時に海部郡司に乞われて海部までやってきて、海部氏の吉田城の城下に建てられた寺の開祖となったもの。

壇ノ浦で平家が滅んで、佐々木経高が阿波、土佐、淡路の守護となった。海部地域は鎌倉幕府の直轄地となり、地頭が送り込まれた。佐々木経高は、承久の変(1221)で上皇側につき京都で敗死。小笠原長清が新守護となり佐々木氏を滅ぼした。承久の変の結果、朝廷から幕府に権力が完全に移される。

嘉禎3年(1237)、海部の地頭・藤原定員が海部、朝河、牟岐の3郷を最勝金剛院に寄進したという記録がある。これは金剛院の荘園とすることで、実質的には地頭が3郷を支配したことを意味する。藤原定員は鎌倉幕府の中心にいた人物で阿波に居住せず、代官職を派遣したと考えられる。

細川氏が阿波国に入国したのは建武2年(1335年)のことなので、海部の城満寺ができたのは、地元の海部氏の実力によるものと考えられる。

海陽町宍喰の宍喰川をちょっと登ったところ、塩深というところに鷲住王を祀る大山神社がある。平安時代の神仏習合によって大山大権現または、十二社権現ともいわれた時代もある。境内には十二の僧坊があったというが、天明3年(1783年)の火災によって消失した。現在の成福寺はその僧坊の一つであるといわれている。

この大山神社には、かつて明昌7年(1196年)銘の古鐘は、朝鮮の金の6代目章宗時代のもので、天保9年に、藩主蜂須賀斎昌に取りあげられ蜂須賀家のものとなり、お城で時を告げていたという。大正時代に蜂須賀氏が久米氏に売却し、さらに、千葉県成田市の小倉氏を経て、現在、上野国立博物館にある。朝鮮の鐘は、海賊の「倭寇」によってもたらされたといわれるが、古代より海上航海の要所だった宍喰の地に、海洋民である海部氏の祖を祀るために奉納されたものである。

■丹波の羽衣伝説で天女の羽衣を奪い酒造りをさせたワナサ夫婦

丹波の羽衣伝説にワナサ夫婦が登場する。

丹波の羽衣伝説は、比治山またの名を磯砂山(いさなごさん)という山の山頂には池があり、その池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしていた。それを見つけたワナサという老夫婦が、そのうちの一人の羽衣を奪い隠してしまい。天に帰れなくなった天女はしかたなく10年あまり、夫婦の娘としてくらし、万病に効く、若返りの酒をつくり、織物を織って家を富ませたが、その後ワナサ夫婦に追放されて、放浪の末に船木の里(現京丹後市弥栄町船木)に定住し、天女は豊宇賀能売命として奈具神社に祀られた。後に伊勢神宮の天照大御神に乞われて、伊勢神宮外宮に五穀豊饒の農耕神として祀られ、天照大御神に食事を給仕する役目をすることとなった。

京都府宮津市大垣にある籠神社(このじんじゃ)は式内社の名神大社で、丹後国の一ノ宮である。この神社には、現在の伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神が一時、ここに滞在していたということで「元伊勢」とも呼ばれている。この籠神社には国宝に指定されている最古の系図がある「海部氏系図」である。

それによると【初代親】饒速日命→【子】天香語山命→【孫】天村雲命→【3世孫】倭宿禰命→【4世孫】天登目命→【5世孫】建登米命→【6世孫】宇那比姫命

海部氏とワナサの地名が丹波でつながっている。そして天女の羽衣が麻だったのではないだろうかと考えるのである。羽衣は大嘗祭の時に阿波国三木家から献上される麻織物アラタエと同じく、霊力のこもった麻布なのではないかと思う。

また、古代の豪族から選ばれ天皇家に集められ、天皇の食事や身の回りのお世話をしたという采女は、ヒレとよばれる天女の羽衣のようなものを肩から掛けていたという。そして天皇の衣食住の生活を通じて、その麻布だと思うのだが、そのヒレを用いて、病を遠ざけ、若返りをもたらす呪術を行っていた。

麻布=羽衣=ヒレをつかった呪術は、海洋民海部(あまべ)氏に伝わる呪術だったのではないだろうか?

海部氏系図によると海部氏は物部氏につながっている。【初代親】饒速日命→【子】宇摩志麻遅命の子孫は物部氏になる。物部氏は呪術に強く、その呪術には十種の宝をつかう。その十種類のうちに3つのヒレが登場する。

八握剣(やつかのつるぎ)という剣

沖津鏡(おきつかがみ)・辺津鏡(へつかがみ)という2つの鏡

蛇比礼(へびのひれ)・蜂比礼(はちのひれ)・品物之比礼(くさぐさのもののひれ)という3つのヒレ

生玉(いくたま)・死返玉(まかるかへしのたま)・足玉(たるたま)・道返玉(ちかへしのたま)という4つの玉

麻布の呪術を使いのが海洋民だったのだろうか?

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