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2016年1月 3日 (日)

お亀千軒伝説と雪の浦

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大神子の浜辺は砂ではなく平たい石の浜になっている。
急に深くなっているので、遊泳には適さないが、ヨットなどで乗り入れるには適している。

●『平家物語』 「権亮三位中将維盛は、与三兵衛重景、石童丸と、武里と云舎人、此三人を召しぐして、忍びつつ屋島のたちを出で、阿波国雪の浦より鳴戸の沖をこぎ渡り、和歌の浦、吹あげの浜、玉津島明神、日前、国懸の御前を過ぎて、紀伊ぢの由良の湊といふ所に着給へり」とある。

●宝暦7年(1757年)ころに書かれた異本『阿波志』 雪の浜、或人云、此おかめの浦の 砂子白石にて雪のごとくなりける故にかく呼びけるとなり、雅人是をとりて庭にまく。

●文化12年(1815年)に書かれた藤原之憲による『阿波志』 大神子の白沙、大原大命に在り、雪瀉と称す。白沙あるを以って也。史、これを守る。

大神子海岸の石は、江戸時代、阿波藩によって採取が禁止になっていた。つまり「御止石=おとめいし」であった。

現在の大神子海岸、手のひらサイズより小さい平べったい楕円形の石でできている。色は青、灰色に真っ白な石が混じる。全体として白く感じる。

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『徳島県地学のガイド』によると、真っ白な石は石英、赤いのは赤鉄鉱-石英片岩、青色は塩基性片岩、黒く平らなのは泥質片岩。曹長石の点紋が見られない無点紋帯の岩石。 籠山も日の峰も山頂部は紅れい片岩でできている。

この紅れい片岩は、徳島の弥生時代のお米作りにおいて、収穫の際の穂首刈りを行った石包丁に使われた石である。 穂首刈りは、弥生の水田では、稲だけが育てられてられていたわけではなく、ヒエやその他いろんなイネ科の草が生えていた。よって稲の穂だけを探して選び、収穫するということがおこなわれていたようで、その穂首刈りに使われたのが楕円型の石で指に固定するための紐を通した穴が二つ開けられている。

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