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2015年12月21日 (月)

敗れたものの歴史・田口成良

フィールドワークをする下準備として、「うるめしま」さんのブログをよんで勉強しました。以下かなりの部分を引用しています。

■田口成良は敗れたものである。

源義経は有能であり、手柄をあげながら、兄である源義朝にうとまれ追放され、奥州平泉まで落ちのびて亡くなる。義経に同情する気持ちから「判官びいき」という言葉が生まれた。歴史は勝ったものがつづるものであり、負けたもの、滅ぼされた者は記録も少なく、その足取りをたどることも難しい。田口成良は平清盛を支え、鎌倉幕府によって滅ぼされた。NHKの大河ドラマ『平清盛』の中にも一度も出てこなかった。

■田口一族のはじまり。

大同3年(808)、田口息維(おきつぐ)が阿波の国司になる。弘仁2年(811)に次の国司が任命されているので、約3年で任期を終えたと思われる。しかし、田口氏はその後も阿波の地で勢力を拡大していったらしい。何代か後が田口成良である。

名西郡石井の桜間城にいて、大きな力を持つ豪族であった。四国の木材を輸出して財をなしたといわれる。その木材は、南部の宍喰や海部から大船で阪神に運ばれたもので、当然海上交通を支配していたものと思われる。海賊の大将ともいわれる。阿波民部大輔と称し、平清盛に仕えていた。

■平清盛の元で大活躍

清盛は摂津福原に貿易都市を建設しようとしていた。大輪田の泊の沖に人工島をつくって、風除けとして大型船が停泊できるようにしようした。難工事だったことから、石の表面に一切経をかいて船に積み、船ごと沈めた。ゆえにこの島を経が島と呼んだ。

田口成良は永暦元年(1160)から大輪田泊修築に尽力していたが、応保2年(1162)その工事責任者である再築奉行となった。経が島の工事は承安3年(1172)に始まり、安元元年(1175)に完成した。清盛は1168年から福原に住んで、その建設を見守った。田口成良は日宋貿易の担当をしていたと考えられている。

田口成良は、治承2年(1178)に、讃岐の平池を再築したという。「東の雌山からチキリを持った女が降りてきて、この池は長くもたないから人柱を埋めるとよいと告げた。だれを人柱にするか決まらないので、それを告げた女自身を人柱として築いたという。そののち堤の東の岩の間から流れ出る水の音が、いわざらこざらと聞こえた。いわなければよかった、こなかったらよかったという意味である。人々は、その女を雌山に祭って、勝大明神とあがめた」との「いわざらこざらの伝説」が残っている。阿波だけでなく、讃岐にかけて勢力を拡大していたということだろう。

治承4年(1180)、清盛は福原に都を移した。しかし、京の都に慣れた人々には評判が悪かった。しかも、その年に源頼朝が伊豆で挙兵する。やがて福原遷都は失敗し、再び天皇は京都に帰った。

治承4年12月28日(1181年1月15日)南都焼討事件が起きる。『平家物語』によると清盛ははじめ妹尾兼康に兵500を付けて奈良に派遣出来るだけ平和的な方法での解決を指示して軽武装で送り出した。だが、南都の大衆は兼康勢60余人の首を切り、猿沢の池の端に並べ、兼康は命からがら逃げ帰る。これに激怒した清盛は、平重衡を総大将として4万の兵を出した。中山忠親の日記『山槐記』によると田口成良が先陣を務めたとある。東大寺を焼くつもりはなかったが、町に放火するのは戦では通常のことであった。

治承5年(1181)、田口成良は伊予に攻め入る。源頼朝が挙兵すると、伊予の河野通清も挙兵して目代を討ち、伊予を支配下に収めた。通清は、平治の乱の時、平清盛から河野郷以外の所領を全て没収され、清盛を恨んでいたのである。通清は高縄山城に立て籠もって抵抗したが、裏切りがあって大敗し、壮烈な戦死を遂げた。

寿永元年(1182)、平氏打倒を策した「鹿が谷の陰謀」が露呈し、首謀者の一人西光の四男・広長が阿波国阿波郡柿原(現阿波市吉野町)にあり、清盛の命により成良が柿原に襲撃して広長を討ち取った。追い詰められた国司・藤原広長は自刃した。田口成良は、平家の赤旗の下に、阿波、讃岐、伊予をとりまとめ。

寿永2年、5月11日(1183年6月2日)木曾義仲は倶梨伽羅峠(越中・加賀国の国境にある砺波山)で平家軍を破り、平家一門は7月安徳天皇を擁して都落ちした。福原も焼き払い九州に落ちのびた。しかし、その九州でも落ち着くところがなく彷徨っていた。田口成良は、四国を鎮圧して屋島に平家一門を招く。豊富な資金力によって行宮を建設し、武器や食料を提供した。山陽道の平家軍は義仲の遠征軍を打ち破り、福原に近い一の谷に砦を築き、京をうかがうまでに勢力を盛り返した。

寿永3年、木曾義仲を宇治川の戦いで滅ぼした源範頼・義経軍は、鮮やかな戦術で一の谷を攻め、平家軍を一気に海へと追い落とした。回復しつつあった平家にとって大きな痛手ではあったが、屋島に本営を置き、瀬戸内海の制海権をもち、天皇を擁している平家はまだ政権復帰への足がかりを失ってはいなかった。

平家方では寿永4年(源氏方では文治元年)、田口成良は、呼び出しても屋島に来ない伊予の河野通信(通清の子)を攻めるために三千騎の軍を送った(文献に出てくる軍勢の数はどう考えても過剰であり、一桁違うのではないかと思われる)。大将は成良の子・教能であった。

■田口成良の最後

義経は旧暦2月17日に大阪を発ち、18日朝に阿波の勝浦に到着。熊山城、桜間城に田口成良の弟である良遠を破り、吉野川を渡り、阿讃山脈を越え、19日には屋島を攻撃している。まさに疾風怒涛の進撃であった。田口成良は、屋島にいたが、水軍を指揮して平家一門を船に乗せ、海上に逃れただけだった。彼の主力部隊はまだ伊予にあって、しかも苦戦していた。21日には平家は屋島をあきらめて長門へと退却した。

伊予から急遽引き返してきた田口教能の軍は合流することができず、義経に投降した。和田義盛にだまされて降伏したとされているが、おそらくそうではない。平家の権威が逃げ去り、領国がどうなっているか分からない状況で、彼の軍にはすでに戦う意志がなかったと思われる。まもなく、平家は長門・壇ノ浦で滅亡する。田口成良の阿波水軍は、たたかいの最中に平家を裏切り投降したという。平知盛はたたかいの前に成良を斬ろうとした。四国勢がすでに戦意を失っていることは誰の目にも明らかだったにちがいない。

5月、田口成良と教能親子は、平宗盛と共に鎌倉へ護送され、処刑された。鎌倉側から見れば、平氏を実質的に支えた張本人であり、しかも最後に裏切ったのは「かえり忠」として鎌倉武士の道徳に反する卑劣な行為であった。しかし、そのために殺されたという訳ではなさそうだ。「東大寺造立供養記」によれば、平家の奈良攻め(1180)のおり東大寺を燒失させた罪により斬られたように書かれている。平家物語によれば逃げ込んだ人々が大仏殿の1700人をはじめ、合計3500人以上焼き殺されたという。平家の悪行のひとつとして知られていたので、その先頭に立った成良の罪名としておかしくはない。

鎌倉幕府は、源氏に味方した武士たちへの恩賞を含めて、今後の四国の支配体制を確立するために、それなりの罪名のもとに田口親子を処分したものと思われる。

■丈六寺と東大寺の関わり

東大寺の浄土堂は、田口成良によって建立されたという。しかし、未完成であったようで仏像も納められていなかったらしい。成良らが処刑された後、「彼等ノ罪根ヲ救フタメ、此ノ堂宇ヲ鐘堂ノ崗ニ建ル所也。九躰ノ丈六[一丈六尺の仏像]ヲ安ンジ、万人ノ念仏ヲ勧ムル也」とある。徳島にある丈六寺の観音堂は江戸時代に建てられたものだが、重要文化財の聖観音座像がまつられている。この像は、藤原時代の作で、高さは3メートルほどで、1丈6尺のいわゆる丈六仏であるところから、この寺が丈六寺と呼ばれるようになったと言う。後の守護・細川成之がこの聖観音座像を本尊として丈六寺を再興した。東大寺・浄土堂の丈六仏は元は10体あって、そのうちの1体をここに移したとの説もある。

■熊山城あと

熊山城は丈六寺の昔の参道の延長線上にある。田口成良の弟(伯父という説もある)、桜間介良遠が城主で、熊山の南西400mほどにある丘にある田林寺も当時は、城館の一部だった。大正2年に開通した「小松島軽便鉄道」(現在の牟岐線)の工事のため、熊山は削られてしまい、城の遺構の半分が失なわれた。

熊山の北には多田羅川が流れ、東と南は沼地となっており、地理的には、なかなか攻めにくそうな城と思われるが、源義経軍が攻めてきたとき、田口成良は屋島にあり、主力は伊予国の河野氏を追討するために留守で、城の守りは手薄であったのか、あっけなく落城したという。

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田林寺は丘の上にある。丘は全面墓地になっている。かつては熊山城の城館の一部であったという。

熊山にある大師堂は、まっすぐ丈六寺を見ている。これが昔の丈六寺の参道だろうか?

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