吉野川汽水域エクスカーション②

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Ai1_2第十堰のほとり、六条大橋のたもと、藍をつくっている佐藤さんに藍と藍染について教えていただいた。

藍師、佐藤昭人さんは69歳。まずはじめに、藍を発酵させる寝床を見せていただきました。藍の寝床で発酵するので、湿度がとても大事な要素となります。藍の寝床は下の方から瓦、砕石、砂、モミガラ、砂、粘土という構造になっており、床は中央が高く、端が低い凸型になっています。

藍はタデ科の1年草で3月に種をまき、7月に20センチほどに伸びた葉を摘みとります。その後、肥料の管理などの手入れをしてやると1ケ月後の8月に、2番葉が収穫できます。そしてそのまま9月まで育て花を咲かせ、種を取るのだそうです。

Ai92摘まれた藍の葉は天日で一度干され乾燥させます。佐藤さんのところでは大型の扇風機で風を送って乾かすようです。

乾いた藍の葉を寝床に運び、水を打って発酵させます。発酵温度は70℃まで上がるそうです。藍の葉を発酵させるのは、毎年9月の大安の日にはじめ、近くの神社の銀杏の葉の色づく色を見ながら、発酵を調整するのだそうです。そして毎年、六条の橋のたもとに冬鳥のカモが渡ってきたら、その10日以内に、藍に布団をかぶせ、冷やさないようにするのだそうです。

Ai8吉野川で気づいたことは、第十のお堰が鳴かなくなった。昔は、もっと水量があったのだろうか、もっと水の流れる音がゴーといっていた。

藍には殺菌作用や止血作用があるといわれ、戦国のサムライは鎧の下に藍染めのシャツを着ていた。藍染のほんとうに濃い色で、すこく赤みが出てきたような色を戦に勝つ色という意味で「かちいろ」という。

Ai91生産の現場である上板と商業の現場である徳島では、少し離れていて、ちょっとやそっとではいけなかった。よって、徳島の町に妾を住まわせて、歌と三味線と芸者でもって商談を進めた。よしこので有名なお鯉さんは、若い時から、ほんとうに場を盛り上げるのがうまい方で、とても人気があったと先代からよく聴かされた。お鯉さんが100歳になったので、藍染めの着物をプレゼントした。

二代目の平助さんは、戦時中の食糧難のために、食料でない藍の生産が禁止になったとき、山の畑で隠れて栽培し、藍の歴史が途絶えそうになったのを救い、阿波藍の文化を守った。今では阿波藍文化の英雄である。

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吉野川汽水域エクスカーション①

エクスカーションは修学旅行の意味。マイクロバスを貸し切って、一日じっくり吉野川の汽水域を見聞してみようという企画。

徳島駅前に集合。まずはじめにバスは眉山山頂を目指します。眉山山頂へは二軒屋町のスカイラインより上る。江戸時代の徳島の町の範囲は南は金毘羅神社のあるあたりまでだったと考えられている。金毘羅神社の前で相撲の興行がされたという記録が残っている。相撲の興行は町の中でしないのが一般的で、市域のすぐ外で行うことから、金毘羅神社あたりが徳島の町の南の端だったことがこれによりわかる。

佐那河内へ抜けていく国道439号線の二軒屋町の交差点あたりは、かつて涙町と呼ばれていた。お墓がたくさんあり、毎日のように葬列が見られた。

眉山の南の麓にある八万町福万は、現在は住宅地であるが、かつては棚田であった。米がたくさんとれる良い田んぼだったので「福万」という豊穣を意味する地名になった。眉山の南の麓は、藩政時代には蜂須賀家の直轄領で、木を切ってはいけない山であった。森が豊かで水が豊富だったのではないかと思われる。中津浦の奥、中津谷には紙すき屋がたくさんあったのだろう「紙ずき谷」の地名も残っている。

Bizan1Bizan2蜂須賀氏は秀吉の川俣一夜城を実現させた美濃デルタ地帯を根拠とする河川土木集団であった。徳島の吉野川デルタ地帯は美濃デルタ地帯とよくにている。蜂須賀氏に流れる河川土木技術集団の血は徳島の地が水運によって栄えることを予期し、網目のように流れる河川を巧みに街づくりに利用したことだろう。

蜂須賀氏の居城があった城山は、蜂須賀氏入城以前は猪山と呼ばれていた。

徳島の海岸線は埋め立てが進みみんな四角く切り取られてしまっている。

バスは眉山を降りて、新町川を右手に見ながら沖洲の埋立地に向かう。新町川にはかつて、貝殻瀬というカキ貝などの貝殻が堆積してできた中州があったという。

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Okinosu1沖洲の埋立地には、絶滅が危惧されているルイスハンミョウなどの生きものの生息場所を確保するために人工海岸がつくられてる。すでに数億のお金が投入されているが、人の手で自然をつくることは難しいようである。

日ごろは高い堤防によって見えないが、堤防の上に立つと、そこには荒涼とした死の世界が広がっている。

沖洲の人工島マリンピアと旧海岸堤防の間の残され海には、アサリを捕る潮干狩りの人が群れている。

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次に向かったのは住吉干潟。5月18日には水防演習の予行演習が行われていて、たくさんの人が河川敷に集まっていた。

この水防演習では、国土交通省の手違いで希少生物がたくさん住んでいる葦原の一部が仮設ヘリポートの建設のために埋まられてしまうという国際的な大問題がおこり、国の内外から非難の声がたくさんよせられている。

水防演習をご覧になる来賓の方にヘリコプターが舞い上げる砂埃がかかってはいけないとの配慮から、河川敷のグラウンドの外に仮設ヘリポートをつくるということ自体がお金の無駄なのではないか?国土交通省は現状復旧工事を行うというが、仮設ヘリポートを作る際には環境調査が行われていないので、どこまで復旧していいのかわからない事態になってしまっている。

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現状復旧に対して、多くの予算を用意していないので、どこから、現状復旧にかかる多額の費用を捻出するのかも大問題となっている。

埋められた場所はウモレベンケイガニの生息地であった。干潟ではシオマネキなどのよくめだつカニは、よく守られているが、ほんとうに希少なめだたない生きものが、その存在をしらない人によって被害を受けることが多い。

住吉干潟は町のすぐ近くにある干潟で、人と生きものの関係が近いだけに、干潟の生きものたちは人間の活動による影響を受けやすい。こういう場所であるのだから、日ごろから十分な配慮があってもいいと思う。

Sumiyosi4住吉干潟では、あたりまえにいつでも見られるヒロクチカノコであるが、急激に数を減らしており、たいへん希少な生きものになってきている。

干潟の生きものたちとどう付き合っていけばいいのか、真剣に考える時期にきていると感じる。

干潟では長旅に備え、カニを食べる渡り鳥の姿がたくさんみられた。

コープ住吉店にてトイレ休憩をして、お昼のお弁当を積み込む。バスが古川橋の下へ。ここでは長靴に履き替えて、シジミ捕りを体験。豆拳蟹が出迎えてくれた。徳島市の方に吉野川での思い出は何?とアンケートを行うと、潮干狩りという答えがとても多い。そして通勤通学の行き返りに土手を通ったり、橋を渡ったりという思い出。東西に流れる吉野川はいつも南から太陽を受けて輝いている。そして橋の上から眺める朝日の登る風景、夕日の沈む風景は、とても美しく心に残る。 Sizimi1   Shizimi2

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大林町の柴田さんの田んぼの調査結果

柴田さん田んぼの内、一番、気になっていた草がぜんぜん生えていない田んぼを調査させていただきました。農地水環境対策向上によって、昨年の秋よりコスモスを全面に植えていたこと。ジャンボタニシがいることで草が抑えられたのではないでしょうか?

苗はプール育苗。魚液をEM発酵させたアミノ酸液肥を葉の色と水の吸い上げ具合を見ながらジョウロで施肥。太い苗にするために豚の焼成骨粉を少量。本田の方には光合成能力をUPさせるために水酸化マグネシウムを施肥。

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田浦地区で用水路の魚類調査

555d北野さんの家の裏の用水路にカゴ網を仕掛けたところ、ヤリタナゴらしき魚が獲れた。婚姻色に色ついていてとても美しい。ヤリタナゴは産卵管でマツカサガイなどの淡水二枚貝の中に卵を産卵する。またマツカサガイの幼生(グロキディウム)は魚のヒレに寄生して大きくなるという共生関係がある。

この地区にはホタルがいることもあり、ホタルが生息できる環境を守るため用水路の三面張りをしていない場所を残している。水草は外来種のオオカナダ藻がほとんどであるがタナゴが生息できる環境が維持されているのだろう。タナゴは雑食で藻も昆虫も食べる。

用水路の水は勝浦川から引き入れられている。

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田浦地区の生きもの調査

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北野さんは米ぬかを主体とした無農薬栽培を行っている。

苗は魚液をEM菌で発酵させたアミノ酸液肥を使ったプール育苗。

田んぼを泳いでいたカエルを捕まえる。お腹が白いヌマガエルだった。オタマジャクシ、小型ゲンゴロウ、イネミズゾウムシが見つかる。畦にてシマヘビに2回も遭遇してしまった。北側の土の水路は冬には水が枯れてしまうとのこと。

111a北野さんの家の東の田んぼでイモリを発見。Saitou01

222b222c北野さんのグループに入ったばかりの斉藤さん。2月末に米ぬかと油粕をEM菌で発酵させものを反あたり120キロ、田植えに生の米ぬかを100キロ。イトミミズの数がとても多い。

イトミミズの分布には偏りがあり、コンクリート畦の傍に多い、これはコンクリート畦が暖められて、その周辺の水温をすこし高くしているからではないだろうか。水深も浅いところの方がイトミミズは多いように感じられる。  222d 222f 222e

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真ん中に植えていないところがあるのは、小祝さんの指導ではなく、田植え機の操作を少し間違ったからだそうだ。小祝流は、デンプンがたくさん作れるように、光合成能力を高めてやるというやりかた。田んぼの真ん中に風の通り道をつくると、葉の裏についた葉水(葉が光合成をおこなうときにつくられる水が気孔より捨てられたもの)がいつまでも葉についていると、気孔からの炭酸ガスの吸引がうまくいかないので、風の通しをよくし、できるだけはやく葉水を落とさせることが大事。偶然できた風道であるが、功を奏するのではないかと期待されている。

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銀杏浮苔と山椒藻を発見

Isi2Isi1石井の阿部さんの田んぼにて、銀杏浮苔と山椒藻を発見する。阿部さんはずっと自然農法でお米を作っていて、農薬を何十年も使っていない。

銀杏浮苔は種子でなく胞子で増えるので、農薬の影響を受けやすい。日本でただひとつの水面に浮くいているコケの仲間。

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東根さんの田んぼのイトミミズユスリカ調査

田んぼ全面に車軸藻が生えている。水は濁っていて、土壌はショートケーキ状に、下はボソボソで上はトロトロになっていた。土畦のところにはミジンコが多数いる。オタマジャクシは小さい1cmにも満たないほど。赤いユスリカ以外に緑色のユスリカがいる。泥の中ではなく、藻のあるところで金魚網ですくうとたくさんと取れる。コドラート調査の必要性があると思われる。

イトミミズユルリカ調査でセンチュウであるした小さな糸状の生物はイトミミズかもしれない。先日25日に東根さんの田んぼ脇の用水路にカゴ網を仕掛けたとき、引き上げてきたカゴ網を白パットの上においていたら、たくさんのユスリカに混じってセンチュウとヒルの子どもがカゴ網から白パットの中に落ちて溜まっていた。あの印象が強かったためにセンチュウとしたが、実際のところは生きものであるが種類は不明とした方がいいと思う。

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このヤゴはアキアカネのヤゴではないでしょうか?

コオイムシは昨年、生まれた子どもでしょうか?大きさが大人の4分の1ほどでした。

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田んぼ探検隊in小松島坂野町

01tambo0525小松島の東根さんの田んぼで田んぼの生きものを観察する「田んぼ探検隊」というイベントを行いました。前日は大雨で、当日も天気が心配されましたが、なんとか開催することができました。このイベントは全国35ヶ所で開催された「日本湿地ネットワークの干潟・湿地を守る日」のイベントのひとつです。東根さんの田んぼには八幡神社の鎮守の森を抜けていきます。たくさん人が来たせいか、ツバメがたくさんやってきました。草原の中の虫たちが驚いて空中に逃げたのを、ツバメは見逃さなかったようです。

03tanbo0525_2「干潟・湿地を守る日」は九州の有明海の諫早湾が埋め立てられたことに危機を感じ制定されました。今年10月に韓国で行われるラムサール条約締結国会議で、田んぼが生きものにとって重要な湿地のひとつであることを認識しようという「水田決議」が採択されることになっているので、そういうこともあって、田んぼの生きものを観察してみようということになりました。

田んぼの土畦がのこっているところを金魚網ですくってみます。無数のミジンコとユスリカの幼虫。東根さんの田んぼのユスリカはいわゆる赤虫ではなく、緑色をしているものがたくさんいます。植物を食べているのでしょう。ユスリカが赤いのは、酸素が少ない土の中でも生きていけるように、酸素を体の中に蓄える赤血球の成分であるヘモグロビンをもっているから、赤くないユスリカは酸素に困っていないのでしょう。藻や植物プランクトンが田んぼの中に多くあり、酸素が豊富なのかもしれません。

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この日、見つかった生きものは、

田んぼの中はミジンコ・カイエビ・コオイムシ・赤トンボのヤゴ?・小型のゲンゴロウ・コガムシ・ジャンボタニシ・サカマキガイ・山ヒル・ミズアブの幼虫。

111まるで土が生きものでてきているかのようにミジンコがたくさんいました。

畦の草地ではハネカクシ・ゴミムシ・緑色の甲虫・バッタの子ども・テントウムシ

用水路は前日の雨でにごっていて、魚などは見えませんでしたが、カゴ網を前日から仕掛けておいたものに、モクズカニ・アメリカザリガニ・ヌマエビ・コイの子どもがかかっていました。07tambo0525222

アメリカザリガニはとても大物で、子どもたちの遊び相手になりました。バルタン星人はアメリカザリガニがモデル?両はさみを万歳している姿は愛らしくもあります。

アメリカザリガニは外来種だから、捕まえたら殺さなければならないと子どもにいうと、殺すのはかわいそうだからアメリカに送り返そうといわれました。

06tambo0525農法について熱く語る東根さん。おいしいお米をつくろうと、いろいろな人の話を聞き、いろんなことに挑戦し、行き着いたのが、ポット苗でした。腰の強い苗をつくり、大きくしてから田んぼに植える。

苗を置く床は前年の秋から堆肥を混ぜて仕込んでおく、田んぼの草抑えは、米ぬかと油粕を混ぜてEM菌をつけて発酵させたペレットをまく、米ぬかと油粕が栄養となって、さまざまな微生物が活性化し、田んぼの水をにごらせ、雑草が成長するのに必要な日光を遮断し弱らせるというやりかた。東根さんの田んぼに生きものが多いのは、東根さんの農法に関係している。

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田んぼの生きもの調査研修会メモ

6月2日~3日で行われました、NPO生物多様性農業支援センターの田んぼの生きもの調査研修会(西日本編)に参加してきました。

佐賀県唐津市の浜崎にある魚半という旅館が会場です。博多駅から地下鉄で、そしてJRは潮の香りのする玄界灘沿いを西へ、車窓には海と刈り取りま近かの麦畑と田植えしたての田んぼが交互に流れていきます。浜崎駅に到着したときは雨でした。シーズンオフの海辺の町には、車もあまり走っていません。会場の旅館は想像どおり、海水浴場に面した、いかにも魚がおいしそうな感じです。そして田んぼは見渡す限りありません。ただ、ツバメがたくさん飛んでいてエサとなる昆虫は多いようです。海岸沿いは虹の松原という名の立派な松林があります。玄界灘は最近おぼえたての色、濃い水色をした瓶覗色でした。

以下、研修会で講師の先生方がお話になったことのメモ(一部、私の情感が入っています) 

■原耕造さんの講演メモ

田んぼの生きもの調査がはじまって4年がたつ。田んぼの生きもの調査から見えてきたものをみんなで共有できるものにしていきたいという思いからナショナルセンターをつくることになった。しかし、その名が田んぼの生きもの調査センターでなく、生物多様性農業支援センターという言葉になっていくのか?説明します。

まず、はいじめに、地球にとって今日はどういう日なのか?自分にとって今日はどういう日なのか?そういうふうに考えてみてください。農協はいつの時代も時代の要請に答えて来た。食糧増産が課題だった時代、化学肥料と農薬を駆使し、5俵しかとれなかった田んぼが7俵とれるようになった。ところによっては14俵もとれる田んぼもある。畜糞堆肥を使わないで化学肥料を使う農業がきれいな農業と見て取れた時代もあった。化学肥料でつくった野菜をきれいな野菜だからといって「清浄野菜」なんていった時代もあった。

現在も時代の要請に答え、皆殺し農薬を一部の害虫を狙い撃ちにするものに改良したり、フェロモントラップのようなものを考案したりしている。

そして、時代の要請に答えて、生物多様性農業というものができてきた。地球温暖化が進み、生物の大量絶滅がはじまっている今、この地球の危機を回避するために、全人類が知恵をふりしぼらなければならないのが、今という時代。そういう時代だからこそ、食と農と環境への取り組み方も大きく変わらなければならない時を迎えている。

ただの生きもの好きの集まりでは、地球温暖化の防止と生物の多様性を守るという地球規模の問題に対処できない。そこで、専門家集団をつくり、日本中の同じ志を抱いている人とネットワークを結び、データを集めて、その蓄積を利用し、営農を支援できる技術を研究開発し、みんなが使えるものとして広めていくことが必要になってきた。田んぼの生きもの調査から生物多様性農業支援センターへ生まれ変わったのはそういう理由から。

田んぼの生きもの調査から見えてきたものは、イネは人間が育てていると思っていたが、イネは人間以外の多くの生きものたちの手助けによって成り立っていることがわかってきた。人間中心で考えていたときには、わからなかったことであったが、人間はイネを育てるおおくの生きものの内のひとつということが生きもの調査からわかった。

戦後のアメリカ支配の中で、西洋の考えが導入させて、効率や学校でいい成績をとることがすべてになってしまったが、それでほんとうによかったのかという見直しをはじめる時期がきているのかもしれない。失ったアジア的なものを取り戻したい。たとえば「いただきます」といって食事を始める文化をもっている国は日本と韓国だけらしい。食とは命であり。食べるとはまさに、自らの命をつなぐために何かの命をいただいていること。命をつなぐために命をいただくことへの感謝。食=命という思想。足元には日本の風土の中から生みだされた、自然と人とのかかわりの中で、ゆっくりつくりだされた自然とどう関わればいいのかという思想がある。
一楽照雄先生が「有機農業」を提唱して30年あまり、なぜ日本に有機農業が定着しなかったのか?有機農業には、環境をどうしていきたいのかという運動がベースにあるべきだが、日本では、差別化商品のひとつになってしまったので、それ以上のものになることができなかった。安心安全だけに注目が集まってしまったことが間違い。ベースを環境にしないと続かない。ヨーロッパで有機が広まったのは、土のアソシエイションが有機農業のベースにある。土壌を守り、次世代にいい状態で受け継ぐことをベースにしているから持続する目的が明確になっている。

環境というベースがないのに、安心安全を追求すると、価格競争に陥ってしまって、その究極の結果が1個2円の餃子になり、中国の毒入り餃子事件になってしまった。

全農も安心システムをつくった。その中身は①農家の安心=まず、作っても売れなければ意味がないので、まず売り場づくりを行った。そしてもちろん消費者の安心。でもこれだけではいけないと③地球の安心の三本立てにした。

環境問題は中央主導で解決できる問題なのか?上から押し付けられても、変われるものではない。たとえばトキの放鳥の話、イネを踏まれたら困るので、普通の農家はトキなんて来て欲しくない。ところが自分との関係で、環境や地産地消が大切なんだと考えられるようになると、ぜひトキに、自分の田んぼに来て欲しいと心から願うようになる。トキが来るということの意味が自分と環境との関係の中で考えられるなら、来て欲しいという農家も増える。

今年、韓国のあるラムサール条約締結国会議で水田を湿地として見直す「水田決議」が話し合われる。前回、ウガンダの会議で、宮城県の蕪栗沼と周辺水田が評価されたため。すこしずつ環境と自分との関係を考えれる農家が増えてきている。

■宇根豊さんの講演メモ

COP10に向けて、生物多様性保全のために2億円の予算がついた。ところが、予算が多すぎた。予算に相応した成果をあげなくてはならなくなって、生物多様性保全の保全する生物を人間にとって有用な生物に限定してしまった。5年間では害虫・益虫以外のただの虫の有用性を証明できないと言われてしまった。それでは生物多様性ではないではないかと抗議したが、国の取り組みとはその程度のもの。

有用性を越えていかなければならない。昔の百姓(90才以上の方)は田んぼの生きものを良く見ていた。福井県の調査で、300種以上の草の名をかつてのお百姓さんは知っていたことがあきらかになった。有用性がなくても名前を知っていて覚えていた。それは科学のまなざしとは、少し違う世界の認識の仕方である。それは世界を情感で見るという見方ではないだろうか?

世界の認識にはいくつかあるが、①科学的にみるとは、外側からみる・冷静にみる。もうひとつは内側からみる科学と関係なく情感で見る見方があると思う。科学も見方のおもしろい例として、マレーシアの幹周りが1メートルもある巨木に棲んでいるクモと昆虫をすべて採取して展示するという企画を見たことがある。1万2382匹(種類は1705種)がきれいに並べらいて圧巻であった。これが科学の目。採取の仕方は木の周りを網で囲い、下にシートを敷きつめて、上からヘリコブターで農薬をどっとかけて、下に落ちた虫を数えると言うもの。

住民はその木とどういうふうな関り合いをもっていたのか?それは人と木との個人的な関係はどうだったのか?それが情感で見るという見方。

科学とは時代の精神にあったものしか、取り扱わない。それでも分類して整理すると、なんだかわかったような気になる。しかし、わかったつもりで、実は何もわかってしないということになってしまうのではないか?田んぼの生きものの把握は、未だできていない。おおよそ1200種がいて、内訳は害虫は100種、益虫は300種、ただの虫が800種。

つきあっていると名前をつけたくなる。サルの群れに名前をつけるのは日本の研究者だけだという、ヨーロッパではあまり名前をつけない。自然のもの、出あった生きものに名前をつけたがる人がいるナチュラリストというらしい。百姓はナチュラリストだった。そして人には誰にでも、ナチュラリスト的な部分がある。エコロジストは自分のためになることしかしないような感じを受ける。

オタマジャクシに愛情を感じることはないが、情愛は感じることができる。名前を呼ぶということは、付き合いを深めるために大事なこと。白っぽくて小さなゲンゴロウというのは、名前を付けたのと同じ。学術的な呼び名はわからないが、「白っぽくて小さなゲンゴロウ」と呼んでいる。それだけで、まなざしをその生きものに十分に注ぎ込んでいることになる。

石牟礼道子さんの「名残の夜」(平凡社ライブラリー『親鸞』所収)の引用。
石牟礼さんの近所におばあさんがいる。昔は‘働き神’といわれたほどの働きものであった。つれあいのおじいさんは、「男のほうが女より早う逝くけん、おれが死んだあと、おまえが友だちのおらんけん、おまえに相手してくれるごと、蜜柑山なりと育てておこうわい」と言って、山に蜜柑をそだてた。そのおじいさんも亡くなり、おばあさんもだんだん足が悪くなり、蜜柑山に行けなくなる。そのおばあさんに近所の人が、「小母さん、蜜柑山に行くが、何かことづけはなかな?」というと、おばあさんは「草によろしゅう言うてくれなぁ」という。

おばあさんの世界の認識は、蜜柑という作物よりも、草とりをする時間の方が長かった。草といっしょにいる時間が長かったから、草に対して、たくさんのまなざしを注いでいたのだろう。草取りの仕事は草から情感がたちこめてくるような仕事であっただろう。草に対して、お前は根が張って抜くにくい草だな。お前は大きくならないし、きれいな花を咲かすから取らずおいておいてやるよ。というふうに草と話していたかもしれない。草は仕事の相方であった。本来はお百姓さんには自然に対するたくさんのまなざしをもっていたはず。

本来は仕事をとおして、世界を認識していた。ところが今は、仕事ではなくみんな作業になってしまった。仕事はそれ自体がたのしい、しかし作業は何か他に目的がある。蜜柑はカネになるが、草はカネにならないと、切り捨ててしまったのではないか?蜜柑が目的で、草取りは手段になってしまった。仕事を労働に分解してしまって、そこに本来あったまなざしを失ってしまったのではないか?自然へのまなざし、「目の届く範囲」という範囲をもう一度取り戻さなければならない。

道元の書の中に、『山水経』というのがある。その中に、池を見たら、人は池にしか見えないが、池の中の魚にとってみたら、池は立派な宮殿に見えるかもしれない。人の見方だけで、世界は本当に見えているのか?人には想像力があるので、池の中から池を見てみることも必要なのではないか?そうしたら世界はもっと違うものに見えてくるという教え。赤とんぼが飛んでいるという話をしたとき、学者はすぐ種類や数が気になる。詩人は風景やまなざしが気になる。お茶碗に盛られた「ごはん」を見て、何をどう感じるのか?まず、見た目、香り、味、といった感覚。科学の目でみたら、食味値・アミロース値・残留農薬などがわかる。DNAをみれば銘柄がわかる。ご飯の中から世界を見たら、イネといっしょに育ってきた生きものと田んぼの風景と水・光・光・イネを育てたお百姓さんがみえてくる。

田んぼの生きもの調査の意義は、なぜしなければならないのかという意味は、ごはんの中から世界をみるようなまなざしをわたしたちが獲得するためといってもいいのだろう。

日本の有機農業運動の創始者である一楽照雄先生は、「子どもに自然を、老人に仕事を」という言葉を残している。自然とは心を養う場、情感とまざしを養う場であり、子どもに多様な価値観を教え、思いやりを教える場、それが自然。そして仕事とは作業ではなく、世界をつくることであり、老人にこそ、その経験と知識を思う存分に発揮して、次の世代に平和と安らぎをつくる場が必要ということを、この言葉はいっているのか?

■岩渕成紀さんの講演メモ

荘子は自然と喧嘩しないで、水のように生きなさいという思想をつくった。老子はその水のように生きる宇宙観を築いた。それに比べて、孔子はなんだか世俗的で好きになれないなと思っていたが、「70歳にして心のほするところによりて法を超えず」という言葉に出会い気に入った。心のままに自由にしても法を侵さない。科学のまなざしは心のほっするところによりて法を超えずでありたい。

たのしく、心に残ること、歴史的、文化的なことが大事であることを踏まえつつ。中級編の田んぼの生きもの調査では数を数える。数字にしたとき、数字に偏ってはいけない、だから数字に悲しみを知っている数字がいいと思う。それを知りつつ、出てきた数字は大事にし、意味のあるものにしていきたい。田んぼの土と水を調べると、その田んぼを営んでいるお百姓さんの心がわかる。科学的にPHを測ることでお百姓さんの心がわかればいいと思う。

つまらないものの中に大切なものがある。瞬間、瞬間の中に永遠がある。プロの農家さんが撮った、田んぼの映像の中に、一点をずっと固定アングルで長撮りしているのがある。同じアングルの中に、トンボがやってきて、しばらくして、去っていって、次にアメンボがやって来るというのがある。三脚をつかっているのかと思っていたら、後半、すこし揺れている。迷いがあるのでわかる。じっくり見つめ、じっくり動かないで、じっくり考える。ということを教わった。じっくり一点をみるまなざし、その中で心がゆれるのことがいい。

①田んぼのめぐみを知る→出現数を定性的に調べる。
②田んぼのまなざしを獲得する→数を数えて定量的に調べていき、営農への効果を考えていく。
③田んぼの宝物をみつけ創出する→各地域の生きもの目録を地域の宝として地域がつくる。

イトミミズは北海道の雪の下にも生きている。トレハロースのような不凍液を出して血が凍らないようにしている。
田尻は市町村合併で大崎市になった。田尻には11万羽のガンが渡ってくる。この数は大崎市の人口と同じ。
田尻では農地水環境の補助金を使ってメダカ分布地図を作った。農法が違えば、生きものも違う。
和歌にうたわれる情緒的なトンボ。ウンカ・カメムシ・ヨコバイなどの害虫を食べてくれる。
フナは田んぼの魚。田んぼに入れたら田んぼで産卵する。
溶存酸素、20℃のときの論理値8ミリグラム/リットル
イトミミズが5倍→ドジョウが5倍→サギがやってくる
南方熊楠の教え、数には限界がある。なぜなら生物の世界、生態系はマンダラになっているから。
昭和30年代前半、田んぼの作業時間は160時間→今は30時間以下になっている。4ha以上の大規模農家は20時間以下になっている。
イトミミズは10反あたり300万匹以上いれば、抑草効果がある。(1平方メートルあたり3000匹)

■田んぼの生きもの調査の進め方

●初級編の調査方法
①ラインセンサス(3株くらいの範囲を観察しながら、田んぼを横断する)
②立ち止まる(何かを見つけたら、立ち止まってじっくり観察する)
③虫見板(10株くらい調べてみる。イネと一番仲がいい生きものは害虫です。イネを食べる害虫はイネなしでは生きていけない。イネを食べる害虫はベジタリアン・害虫を食べる。益虫は肉食のプレデター。どちらでもないただの虫は害虫はただ田んぼを棲みかしているだけ。害虫はイネを食べる虫なのであまり動かない、じっとしている。逆に益虫は害虫を食べるので肉食で獰猛、活動的で動き回る)
④金魚網・昆虫飼育水槽(名前のわからないものは捕まえて、図鑑のあるところまでもっていき名前を調べる)
⑤経験・記憶(イメージ認識は重要・3反あたり1匹とかいう実感も筆記しておく・日ごろの田まわりや百姓仕事の中で見た生きもののことを記録しておく・感動したりおどろいたりしたら言葉が生まれる。その言葉を)

●中級編の調査方法
①イトミミズ・ユスリカ調査
球根堀り機で、直径7.2cm、深さ10cmで土をとり、水で泥を洗い、イトミミズとユスリカの数を調べる。
土はジップロックの袋に入れて、採取地点の場所を油性マジックでしかり記入しておくのがよい。
網に取った泥を入れ、流水で洗い流す。網に残った砂や繊維をパットに少量ずつ入れて、きれいな水を入れて延べて、出現した生きものを丁寧に数える。
②カエル調査
畦と畦からイネ株3丈分の範囲のカエルの数を調べる。カエル調査隊は3~5人1組となり、一列になって畦を歩いていく。先頭の人がカエルを畦から追い出す係り、この人はカエルにくわしい人がいい。アマ・アマ・アマ・トノ・ツチ・ヌマ・アマのように出現するカエルを瞬時に見分け、後に続く記録係りの人がカウンターで記録していく。記録係はアマガエル担当・トノサマガエル担当のようにカエル別に分けておくとよい。アマガエルは1日あたり1平方メートルしか動かないといわれる。見取り図は大切、カエルの出現数は、近くに森や水路があると多くなる場合がある。調査する前に、調査する田んぼ以外の近くの田んぼで、カエルを実際につかまえてみて、どんな種類がいるのか調べておく。

③クモ調査
クモには巣をつくる造網性のクモと地面や水面を歩きまわる徘徊性のクモがいる。
子守グモ(腹の上に卵や子どもを乗せて育てている)
走りクモ
足長クモ(いちばん多く見られる)
袋クモ
鬼クモ(トラ柄の鬼のパンツをはいている)
蟹クモ(蟹のように体がつぶれている)

④草花調査
草の名前がわかるようになってほしい。微妙な違いがあるので、その違いがわかる人になってほしい。違いがわからないと豊かさが表現できない。田んぼの草花として155種類を記載したハンドブックをつくった。155種類というのは田んぼ草の6割~7割くらい。特に花のあるものが見つけやすいので花のあるものを中心に記載してある。
いくつかの班にわかれて、班ごとに黄色い花・白い花・水色ぽい花・赤っぽい花というふうに集めて、同じも種類のものを集めて、後で図鑑などで調べる。よく似ているが、別の種類ということはよくある。
草花調査の意義は、畦は草刈がされていて、定期的に管理されている。管理されている草地の方が種類が多い。そして畦は田んぼという水域に面した水辺である。植物も水辺は種類が多い。

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小松島市坂野の東根さんの田んぼ生きもの地図をつくる

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5月25日の田んぼの生きもの観察会のために、22日に下見に行き、そこで味わった情感を絵地図にしてみました。

近くの春日神社の碑によると、坂野町のこの一体は「室町時代に田井の荘・大葉の里」という荘園だったとのことです。地名で田井とつくのは、田んぼに井戸から水をくみ上げて引いていたことを表してします。東根さんの先祖は古くからこの地に住んでいたとのことです。

大場傍示集会所の前庭の東側にはセンダンの木。「センダンは双葉より芳しい」ということわざがありますが、これはセンダンと同じ種類に香料になるビャクダンがあるから。落語に「センダンは双葉より芳しい」を「洗濯もんは2日もあれば乾くらしい」と聞き間違えるというのがあるのをちょうど、この日の朝、ラジオで聴きました。

東根さんの畑にはジャガイモとニンニクが育っていました。そしてその畑にはシマヘビが、毒はなくおとなしい蛇です。そして用水路にはスッポンのような亀が泳いでしました。そして何より驚いたのは立派なナマズが10匹以上も泳いでいたこと。

セ・セ・セ・セと鳴くセッカの鳴き声がしました。スズメより小さい鳥です。セ・セ・セ・セと鳴くときは登っているとき、落ちてくるときはチ・チ・チ・チと鳴くそうです。

空では1羽のトビと2羽のカラスがけんかしてしました。トビは一方的にやられていました。

田んぼの中には小型のゲンゴロウ・コガムシ・そしてトンボのヤゴ・カイエビ・そして無数のミジンコがいました。農薬に弱いジャジクモが生えていて無農薬であることを示しています。

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