6月2日~3日で行われました、NPO生物多様性農業支援センターの田んぼの生きもの調査研修会(西日本編)に参加してきました。
佐賀県唐津市の浜崎にある魚半という旅館が会場です。博多駅から地下鉄で、そしてJRは潮の香りのする玄界灘沿いを西へ、車窓には海と刈り取りま近かの麦畑と田植えしたての田んぼが交互に流れていきます。浜崎駅に到着したときは雨でした。シーズンオフの海辺の町には、車もあまり走っていません。会場の旅館は想像どおり、海水浴場に面した、いかにも魚がおいしそうな感じです。そして田んぼは見渡す限りありません。ただ、ツバメがたくさん飛んでいてエサとなる昆虫は多いようです。海岸沿いは虹の松原という名の立派な松林があります。玄界灘は最近おぼえたての色、濃い水色をした瓶覗色でした。
以下、研修会で講師の先生方がお話になったことのメモ(一部、私の情感が入っています)
■原耕造さんの講演メモ
田んぼの生きもの調査がはじまって4年がたつ。田んぼの生きもの調査から見えてきたものをみんなで共有できるものにしていきたいという思いからナショナルセンターをつくることになった。しかし、その名が田んぼの生きもの調査センターでなく、生物多様性農業支援センターという言葉になっていくのか?説明します。
まず、はいじめに、地球にとって今日はどういう日なのか?自分にとって今日はどういう日なのか?そういうふうに考えてみてください。農協はいつの時代も時代の要請に答えて来た。食糧増産が課題だった時代、化学肥料と農薬を駆使し、5俵しかとれなかった田んぼが7俵とれるようになった。ところによっては14俵もとれる田んぼもある。畜糞堆肥を使わないで化学肥料を使う農業がきれいな農業と見て取れた時代もあった。化学肥料でつくった野菜をきれいな野菜だからといって「清浄野菜」なんていった時代もあった。
現在も時代の要請に答え、皆殺し農薬を一部の害虫を狙い撃ちにするものに改良したり、フェロモントラップのようなものを考案したりしている。
そして、時代の要請に答えて、生物多様性農業というものができてきた。地球温暖化が進み、生物の大量絶滅がはじまっている今、この地球の危機を回避するために、全人類が知恵をふりしぼらなければならないのが、今という時代。そういう時代だからこそ、食と農と環境への取り組み方も大きく変わらなければならない時を迎えている。
ただの生きもの好きの集まりでは、地球温暖化の防止と生物の多様性を守るという地球規模の問題に対処できない。そこで、専門家集団をつくり、日本中の同じ志を抱いている人とネットワークを結び、データを集めて、その蓄積を利用し、営農を支援できる技術を研究開発し、みんなが使えるものとして広めていくことが必要になってきた。田んぼの生きもの調査から生物多様性農業支援センターへ生まれ変わったのはそういう理由から。
田んぼの生きもの調査から見えてきたものは、イネは人間が育てていると思っていたが、イネは人間以外の多くの生きものたちの手助けによって成り立っていることがわかってきた。人間中心で考えていたときには、わからなかったことであったが、人間はイネを育てるおおくの生きものの内のひとつということが生きもの調査からわかった。
戦後のアメリカ支配の中で、西洋の考えが導入させて、効率や学校でいい成績をとることがすべてになってしまったが、それでほんとうによかったのかという見直しをはじめる時期がきているのかもしれない。失ったアジア的なものを取り戻したい。たとえば「いただきます」といって食事を始める文化をもっている国は日本と韓国だけらしい。食とは命であり。食べるとはまさに、自らの命をつなぐために何かの命をいただいていること。命をつなぐために命をいただくことへの感謝。食=命という思想。足元には日本の風土の中から生みだされた、自然と人とのかかわりの中で、ゆっくりつくりだされた自然とどう関わればいいのかという思想がある。
一楽照雄先生が「有機農業」を提唱して30年あまり、なぜ日本に有機農業が定着しなかったのか?有機農業には、環境をどうしていきたいのかという運動がベースにあるべきだが、日本では、差別化商品のひとつになってしまったので、それ以上のものになることができなかった。安心安全だけに注目が集まってしまったことが間違い。ベースを環境にしないと続かない。ヨーロッパで有機が広まったのは、土のアソシエイションが有機農業のベースにある。土壌を守り、次世代にいい状態で受け継ぐことをベースにしているから持続する目的が明確になっている。
環境というベースがないのに、安心安全を追求すると、価格競争に陥ってしまって、その究極の結果が1個2円の餃子になり、中国の毒入り餃子事件になってしまった。
全農も安心システムをつくった。その中身は①農家の安心=まず、作っても売れなければ意味がないので、まず売り場づくりを行った。そしてもちろん消費者の安心。でもこれだけではいけないと③地球の安心の三本立てにした。
環境問題は中央主導で解決できる問題なのか?上から押し付けられても、変われるものではない。たとえばトキの放鳥の話、イネを踏まれたら困るので、普通の農家はトキなんて来て欲しくない。ところが自分との関係で、環境や地産地消が大切なんだと考えられるようになると、ぜひトキに、自分の田んぼに来て欲しいと心から願うようになる。トキが来るということの意味が自分と環境との関係の中で考えられるなら、来て欲しいという農家も増える。
今年、韓国のあるラムサール条約締結国会議で水田を湿地として見直す「水田決議」が話し合われる。前回、ウガンダの会議で、宮城県の蕪栗沼と周辺水田が評価されたため。すこしずつ環境と自分との関係を考えれる農家が増えてきている。
■宇根豊さんの講演メモ
COP10に向けて、生物多様性保全のために2億円の予算がついた。ところが、予算が多すぎた。予算に相応した成果をあげなくてはならなくなって、生物多様性保全の保全する生物を人間にとって有用な生物に限定してしまった。5年間では害虫・益虫以外のただの虫の有用性を証明できないと言われてしまった。それでは生物多様性ではないではないかと抗議したが、国の取り組みとはその程度のもの。
有用性を越えていかなければならない。昔の百姓(90才以上の方)は田んぼの生きものを良く見ていた。福井県の調査で、300種以上の草の名をかつてのお百姓さんは知っていたことがあきらかになった。有用性がなくても名前を知っていて覚えていた。それは科学のまなざしとは、少し違う世界の認識の仕方である。それは世界を情感で見るという見方ではないだろうか?
世界の認識にはいくつかあるが、①科学的にみるとは、外側からみる・冷静にみる。もうひとつは内側からみる科学と関係なく情感で見る見方があると思う。科学も見方のおもしろい例として、マレーシアの幹周りが1メートルもある巨木に棲んでいるクモと昆虫をすべて採取して展示するという企画を見たことがある。1万2382匹(種類は1705種)がきれいに並べらいて圧巻であった。これが科学の目。採取の仕方は木の周りを網で囲い、下にシートを敷きつめて、上からヘリコブターで農薬をどっとかけて、下に落ちた虫を数えると言うもの。
住民はその木とどういうふうな関り合いをもっていたのか?それは人と木との個人的な関係はどうだったのか?それが情感で見るという見方。
科学とは時代の精神にあったものしか、取り扱わない。それでも分類して整理すると、なんだかわかったような気になる。しかし、わかったつもりで、実は何もわかってしないということになってしまうのではないか?田んぼの生きものの把握は、未だできていない。おおよそ1200種がいて、内訳は害虫は100種、益虫は300種、ただの虫が800種。
つきあっていると名前をつけたくなる。サルの群れに名前をつけるのは日本の研究者だけだという、ヨーロッパではあまり名前をつけない。自然のもの、出あった生きものに名前をつけたがる人がいるナチュラリストというらしい。百姓はナチュラリストだった。そして人には誰にでも、ナチュラリスト的な部分がある。エコロジストは自分のためになることしかしないような感じを受ける。
オタマジャクシに愛情を感じることはないが、情愛は感じることができる。名前を呼ぶということは、付き合いを深めるために大事なこと。白っぽくて小さなゲンゴロウというのは、名前を付けたのと同じ。学術的な呼び名はわからないが、「白っぽくて小さなゲンゴロウ」と呼んでいる。それだけで、まなざしをその生きものに十分に注ぎ込んでいることになる。
石牟礼道子さんの「名残の夜」(平凡社ライブラリー『親鸞』所収)の引用。
石牟礼さんの近所におばあさんがいる。昔は‘働き神’といわれたほどの働きものであった。つれあいのおじいさんは、「男のほうが女より早う逝くけん、おれが死んだあと、おまえが友だちのおらんけん、おまえに相手してくれるごと、蜜柑山なりと育てておこうわい」と言って、山に蜜柑をそだてた。そのおじいさんも亡くなり、おばあさんもだんだん足が悪くなり、蜜柑山に行けなくなる。そのおばあさんに近所の人が、「小母さん、蜜柑山に行くが、何かことづけはなかな?」というと、おばあさんは「草によろしゅう言うてくれなぁ」という。
おばあさんの世界の認識は、蜜柑という作物よりも、草とりをする時間の方が長かった。草といっしょにいる時間が長かったから、草に対して、たくさんのまなざしを注いでいたのだろう。草取りの仕事は草から情感がたちこめてくるような仕事であっただろう。草に対して、お前は根が張って抜くにくい草だな。お前は大きくならないし、きれいな花を咲かすから取らずおいておいてやるよ。というふうに草と話していたかもしれない。草は仕事の相方であった。本来はお百姓さんには自然に対するたくさんのまなざしをもっていたはず。
本来は仕事をとおして、世界を認識していた。ところが今は、仕事ではなくみんな作業になってしまった。仕事はそれ自体がたのしい、しかし作業は何か他に目的がある。蜜柑はカネになるが、草はカネにならないと、切り捨ててしまったのではないか?蜜柑が目的で、草取りは手段になってしまった。仕事を労働に分解してしまって、そこに本来あったまなざしを失ってしまったのではないか?自然へのまなざし、「目の届く範囲」という範囲をもう一度取り戻さなければならない。
道元の書の中に、『山水経』というのがある。その中に、池を見たら、人は池にしか見えないが、池の中の魚にとってみたら、池は立派な宮殿に見えるかもしれない。人の見方だけで、世界は本当に見えているのか?人には想像力があるので、池の中から池を見てみることも必要なのではないか?そうしたら世界はもっと違うものに見えてくるという教え。赤とんぼが飛んでいるという話をしたとき、学者はすぐ種類や数が気になる。詩人は風景やまなざしが気になる。お茶碗に盛られた「ごはん」を見て、何をどう感じるのか?まず、見た目、香り、味、といった感覚。科学の目でみたら、食味値・アミロース値・残留農薬などがわかる。DNAをみれば銘柄がわかる。ご飯の中から世界を見たら、イネといっしょに育ってきた生きものと田んぼの風景と水・光・光・イネを育てたお百姓さんがみえてくる。
田んぼの生きもの調査の意義は、なぜしなければならないのかという意味は、ごはんの中から世界をみるようなまなざしをわたしたちが獲得するためといってもいいのだろう。
日本の有機農業運動の創始者である一楽照雄先生は、「子どもに自然を、老人に仕事を」という言葉を残している。自然とは心を養う場、情感とまざしを養う場であり、子どもに多様な価値観を教え、思いやりを教える場、それが自然。そして仕事とは作業ではなく、世界をつくることであり、老人にこそ、その経験と知識を思う存分に発揮して、次の世代に平和と安らぎをつくる場が必要ということを、この言葉はいっているのか?
■岩渕成紀さんの講演メモ
荘子は自然と喧嘩しないで、水のように生きなさいという思想をつくった。老子はその水のように生きる宇宙観を築いた。それに比べて、孔子はなんだか世俗的で好きになれないなと思っていたが、「70歳にして心のほするところによりて法を超えず」という言葉に出会い気に入った。心のままに自由にしても法を侵さない。科学のまなざしは心のほっするところによりて法を超えずでありたい。
たのしく、心に残ること、歴史的、文化的なことが大事であることを踏まえつつ。中級編の田んぼの生きもの調査では数を数える。数字にしたとき、数字に偏ってはいけない、だから数字に悲しみを知っている数字がいいと思う。それを知りつつ、出てきた数字は大事にし、意味のあるものにしていきたい。田んぼの土と水を調べると、その田んぼを営んでいるお百姓さんの心がわかる。科学的にPHを測ることでお百姓さんの心がわかればいいと思う。
つまらないものの中に大切なものがある。瞬間、瞬間の中に永遠がある。プロの農家さんが撮った、田んぼの映像の中に、一点をずっと固定アングルで長撮りしているのがある。同じアングルの中に、トンボがやってきて、しばらくして、去っていって、次にアメンボがやって来るというのがある。三脚をつかっているのかと思っていたら、後半、すこし揺れている。迷いがあるのでわかる。じっくり見つめ、じっくり動かないで、じっくり考える。ということを教わった。じっくり一点をみるまなざし、その中で心がゆれるのことがいい。
①田んぼのめぐみを知る→出現数を定性的に調べる。
②田んぼのまなざしを獲得する→数を数えて定量的に調べていき、営農への効果を考えていく。
③田んぼの宝物をみつけ創出する→各地域の生きもの目録を地域の宝として地域がつくる。
イトミミズは北海道の雪の下にも生きている。トレハロースのような不凍液を出して血が凍らないようにしている。
田尻は市町村合併で大崎市になった。田尻には11万羽のガンが渡ってくる。この数は大崎市の人口と同じ。
田尻では農地水環境の補助金を使ってメダカ分布地図を作った。農法が違えば、生きものも違う。
和歌にうたわれる情緒的なトンボ。ウンカ・カメムシ・ヨコバイなどの害虫を食べてくれる。
フナは田んぼの魚。田んぼに入れたら田んぼで産卵する。
溶存酸素、20℃のときの論理値8ミリグラム/リットル
イトミミズが5倍→ドジョウが5倍→サギがやってくる
南方熊楠の教え、数には限界がある。なぜなら生物の世界、生態系はマンダラになっているから。
昭和30年代前半、田んぼの作業時間は160時間→今は30時間以下になっている。4ha以上の大規模農家は20時間以下になっている。
イトミミズは10反あたり300万匹以上いれば、抑草効果がある。(1平方メートルあたり3000匹)
■田んぼの生きもの調査の進め方
●初級編の調査方法
①ラインセンサス(3株くらいの範囲を観察しながら、田んぼを横断する)
②立ち止まる(何かを見つけたら、立ち止まってじっくり観察する)
③虫見板(10株くらい調べてみる。イネと一番仲がいい生きものは害虫です。イネを食べる害虫はイネなしでは生きていけない。イネを食べる害虫はベジタリアン・害虫を食べる。益虫は肉食のプレデター。どちらでもないただの虫は害虫はただ田んぼを棲みかしているだけ。害虫はイネを食べる虫なのであまり動かない、じっとしている。逆に益虫は害虫を食べるので肉食で獰猛、活動的で動き回る)
④金魚網・昆虫飼育水槽(名前のわからないものは捕まえて、図鑑のあるところまでもっていき名前を調べる)
⑤経験・記憶(イメージ認識は重要・3反あたり1匹とかいう実感も筆記しておく・日ごろの田まわりや百姓仕事の中で見た生きもののことを記録しておく・感動したりおどろいたりしたら言葉が生まれる。その言葉を)
●中級編の調査方法
①イトミミズ・ユスリカ調査
球根堀り機で、直径7.2cm、深さ10cmで土をとり、水で泥を洗い、イトミミズとユスリカの数を調べる。
土はジップロックの袋に入れて、採取地点の場所を油性マジックでしかり記入しておくのがよい。
網に取った泥を入れ、流水で洗い流す。網に残った砂や繊維をパットに少量ずつ入れて、きれいな水を入れて延べて、出現した生きものを丁寧に数える。
②カエル調査
畦と畦からイネ株3丈分の範囲のカエルの数を調べる。カエル調査隊は3~5人1組となり、一列になって畦を歩いていく。先頭の人がカエルを畦から追い出す係り、この人はカエルにくわしい人がいい。アマ・アマ・アマ・トノ・ツチ・ヌマ・アマのように出現するカエルを瞬時に見分け、後に続く記録係りの人がカウンターで記録していく。記録係はアマガエル担当・トノサマガエル担当のようにカエル別に分けておくとよい。アマガエルは1日あたり1平方メートルしか動かないといわれる。見取り図は大切、カエルの出現数は、近くに森や水路があると多くなる場合がある。調査する前に、調査する田んぼ以外の近くの田んぼで、カエルを実際につかまえてみて、どんな種類がいるのか調べておく。
③クモ調査
クモには巣をつくる造網性のクモと地面や水面を歩きまわる徘徊性のクモがいる。
子守グモ(腹の上に卵や子どもを乗せて育てている)
走りクモ
足長クモ(いちばん多く見られる)
袋クモ
鬼クモ(トラ柄の鬼のパンツをはいている)
蟹クモ(蟹のように体がつぶれている)
④草花調査
草の名前がわかるようになってほしい。微妙な違いがあるので、その違いがわかる人になってほしい。違いがわからないと豊かさが表現できない。田んぼの草花として155種類を記載したハンドブックをつくった。155種類というのは田んぼ草の6割~7割くらい。特に花のあるものが見つけやすいので花のあるものを中心に記載してある。
いくつかの班にわかれて、班ごとに黄色い花・白い花・水色ぽい花・赤っぽい花というふうに集めて、同じも種類のものを集めて、後で図鑑などで調べる。よく似ているが、別の種類ということはよくある。
草花調査の意義は、畦は草刈がされていて、定期的に管理されている。管理されている草地の方が種類が多い。そして畦は田んぼという水域に面した水辺である。植物も水辺は種類が多い。
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